狭山遊園
(2000.4.1)
| 古いデータを整理していたら2000/4/1に閉園した狭山遊園の写真が出てきました。幼年期から狭山で育った私にとっては懐かしい思い出が詰まった場所でした。 | |
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さて、狭山遊園最終日。この日は無料開放の日とあって大勢の人がここに訪れました。多すぎます。 |
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狭山遊園は元々は狭山藩の武家屋敷跡を利用して作られた公園でして1938年に南海電鉄により開園されています。開園当時は園内にクジャクやキジといった鳥類を飼い花菖蒲やスイレン、藤棚といった植物を植えた公園だったそうです。途中戦争の激化により一時休業され、一面イモ畑となったときもあり、戦後はモーターボート場!になったそうです。 |
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改めて当時の写真を見るとかなり広い土地やったんですね。資料によると開業当時で3万3千平方メートルの敷地面積とのこと。写真はプールのスライダーですね。 |
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遊園地のシンボル、観覧車です。当時でもかなり小さな観覧車で、周辺のマンションの方が背が高かったりしました。夏場に乗ると、「中は暑いから、これを持って行きなさい」と係員の方から「うちわ」を渡されたのが、楽しい思い出です。係員の方は年配の方が多かったのですが、世話焼きな人が多くて楽しかったです。 |
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こちらは迷路館ですね。出来た当時は確か「スリラーハウス」やったと思います。中の設備は出来た当時のままでした。機械仕掛けの普通のお化け屋敷でしたが、小学生の頃は子供心には非常に怖く感じて中に入る時は非常に緊張し、出てきたときには、なんとなく達成感がありました。 |
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こちらは急流滑りの途中です。元々こちらの遊園地にはジェットコースターが無く、絶叫マシーンといえばこの急流滑りだけでした。景色に変化をつけたかったので、こういった警官の人形とか色々な置物が置かれてました。 |
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とにかく最終日は人があふれてました。 |
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さて、こちらは「狭山遊園」最寄り駅の「狭山遊園前駅」。狭山遊園が無くなった後はどんな駅名になるんかなっと思ってたら「大阪狭山市駅」って名前に変わりました。市役所が近いからそんな名前になったんでしょうかね。隣の駅が「狭山駅」ですのでややっこしいんですけど。ちなみに改名は2度目で開業時は「河内半田」という駅名で開業したそうです。 |
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狭山遊園では夏は「プール」、冬は「スケート」といったイベントが行われていました。そのためこの駅ではその時期に合わせてこういった飾りが施されてました。 |
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この日で遊園地は無くなるわけで、この日を最後に飾りも外されてました。最終日は入場者も大変多く、慌ただしく遊園地が消えていく感じがしました。 |
| 狭山遊園 2000/4/1に閉園。 狭山遊園の歴史を簡単に記述すると 1938年 南海電鉄により開業 戦争激化により一時休園 1952年 大阪府競艇施設会社が土地建物を借り受けボートレースを行う。 1955年 事業不振により住吉区住之江(現在の住之江区)に移転 1959年 南海観光開発会社が借り受け「花の狭山遊園」として再開 1969年 関西で初の「リバープール(流れるプール)」が登場 1973年 観覧車が登場 1976年 屋内スケートリンクが登場 1982年 スライダープールが登場 2000年 閉園 1959年の再開当時は2600坪のバラ園が目玉やったらしいのですが、その栽培の指導を府大農学部が行っていたとの事です。周辺の協力があって再開されたんやろうなぁ、というのが見え隠れします。また、狭山池を利用して貸しボートも行われており釣りを行っていた時期もあったそうです。そちらは「狭山観光有限会社」にて行われていたそうです。 「狭山遊園」が閉園した前後には「玉手山遊園地(1999)」「あやめ池遊園(2004)」「宝塚ファミリーランド(2003)」「阪神パーク(2003)」「ポートピアランド(2003)(神戸市が引き継ぎ2006年に閉園)」と関西の遊園地が次々と閉園に追い込まれた時期でもありました。ユニバーサルスタジオが出来る前後の時期でしたし、大人向きの遊園地(ディズニーみたいなん)が台頭してきた時期でもありました。その一方で堺には「ハーベストの丘」が出来るなど違った形の家族連れが訪れる観光地が出来ていった時期でもあります。 現在狭山遊園の跡地は住宅地になり、狭山遊園の記念モニュメントがひっそりと飾られております。また、狭山池も平成の大改修を終え、周辺は遊歩道として整備され多くの人が散歩やジョギングを楽しむ場所として賑わいを見せております。 参考文献:狭山町史(狭山町発行)・狭山を変えた鉄道(大阪狭山市立郷土資料館発行) |
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